なんにもいらない。すべてある

  もういい。治らなくていい。だって、しかたない。わたしは、その資格を失ったのだから。
 幸せにならなくていい。その資格もないのだから。

 クローン病の治療は、いったん停止である。とてもじゃないが、それどころじゃない。食べていけるかどうかさえ危ない。



 漢方薬をやめた。
抗ヘルペス剤をやめた。
鍼(はり)治療をやめた。
お灸をやめた。
その他、治療にかかわるものをやめた。
おしりの手術だけは途中でやめるわけにいかないので、これだけ継続し、これが終わったらすべて停止だ。
またいつかきっと、再開してみせる。

 金策はしていた。とりあえずいまは、生きていくこと。そこだけ考えよう。

 もちろん薬だけでなく、ぜいたく品は何も買えない。USBメモリひとつ買えない。せめてUSBメモリくらい買えるようになりたい。

 半年たった。
 1年たった。
 なにも状況は変わらなかった。

 欲しい。欲しい。あれが欲しい。これが欲しい。
 おさえていると、欲望はかえって噴きでるものである。
「いつか買うものリスト」というメモをつくり、そこにUSBメモリやらモニターやらタブレットやら何やらを、1行1行、書き足していった。メモは100行をこえていた。

 2年たった。

 3年たった。

 どうやら、ちがう、と気がつき始めていた。

 わたしは何か、夢をみていたのだ。死ぬまでに、ゆるやかにカーブをえがいて、少しずつ少しずつ、すべてが良くなっていくと。身体的にも、経済的にも、20代よりは30代、30代よりは40代、50、60、70と、病気はだんだん健康になり、貧乏はじょじょに金持ちになり、大金持ちでなくても、本田健さんが提唱する「小金(こがね)持ち」くらいにはなって、「いい人生だったな。」と死んでいける。

 それは夢だったのだ。
 そんな保証はどこにもないのだ。それどころか、20代よりも30代、30代よりも40代、50、60、70と、健康は害されていき、お金は減っていくのが、しぜんではないか。
ふつうに考えたらそうなる。
 では、なぜ、そう考えなかった?

 そう仕向けられていたのだ。
 お金がすべてで動いているこの世界は、こんな夢をみる私のような馬鹿を利用しているからだ。その術中に、わたしはまんまとはまっていたのだ。
「いつか買うものリスト」をつくったのも、「あなたがいまお金があったら欲しいもの、やりたいことを、100コ書き出してください!」と情報商材屋の言うままに、まじめにやったからだ。


 4年たった。

リストを見返した。
なんだこりゃ。
いらないだろこんなの。
これもいらん。
これも。
これも。
なにこれ。ぜんぶいらないものじゃん。

馬鹿か。おれは。

馬鹿なのに、なにか、わかったような気になって、いい気になっていた。
だからこういう失敗をするのである。
この馬鹿を、どうしよう。どうにもならない。馬鹿は馬鹿なのだ。

ほしいもの?
ああ、ばからしい。

1つ削除した。
もう1つ削除した。
削除した。
削除。
削除。
削除。
メモは、からっぽになった。

 そうこうしているうちに、おしりの手術が終わった。
座れるようになった。
生活のなかに「座る」という行動がプラスされた。床に置いていたパソコンを、テーブルの上に置いた。眠っていたイスを、引いて、そっと、おしりを乗せてみた。
座れる。
痛くない。
座って仕事ができる。
6年、うつ伏せで仕事していた。
食事も、6年、ベッドにうつ伏せになって食べていた。テーブルに就いて食事をした。

 ありがたい。
 座って仕事ができる。食事ができる。
 これが幸せなのではないか。

 さらにまもなく散歩ができるようになった。空がある。雲が流れる。風がほほをなでていく。ぽかぽか日光につつまれている。わたしがいる。心臓がうごいている。

ああ、なんて幸せ。
生きて、いる。

 なんだ。

わたしはもう、満ち足りていたのだ。
なにを欲しがっていたのだ。意味のないものを。

 わたしは幸せになっていた。


 ただ――
家の中は、つねに険悪な空気であった。

 つづく



◆編集後記

 「ジョジョとキングダムの続きをレンタルで読む」というリストは削除せず残りました。5年たちましたけど。読めてませんけど(笑)


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