治るためのたったひとつの問題(と当時は思っていたもの)

  治る最後の10年は、免疫の揺り戻しが激烈を極めた。



 「ひぃぎぃやぁあぁあああ」

 おしりが痛い。痛いなどという生ぬるいものではない。針を100本突き立てられたような鋭い激痛が、メルマガを書いていても食事をしていても、前ぶれなく、運がよければ1~2時間おきに、基本的には数10分に1回、ひどいときには数分ごとに襲われた。トイレにいけばおさまるが、トイレにいくことで悪化することがあって針100本の激痛が1時間たえまなく続くことはざらにあった。
 肛門まわりに袋状にたまったウミによるもので、ウミの袋は5つあった。袋は豆粒ほどの大きさにでもなると動くこともできないほど痛いのであるが、みかんくらいの大きさである。はい終わったー。

 おなかも痛い。ふつうの痛さではない。体のなかにナイフを持った小人(こびと)がいておなかを切り刻んでいるんじゃないかという、気絶しそうな痛さだ。
 たとえていうなら『ジョジョの奇妙な冒険』第3部に出てくる「呪いのデーボ」にアギ! アギ! と攻撃されているかのようだ。わからんわ。たとえになっとらんわ。

 んで、下痢が1日30回以上だ。ピキーン! 「はうっ!」肛門に液体が迫ったのを感知すると同時に漏れる寸前。トイレに駆けこまないといけないのだが、痛くて動けない。何度、トイレに這っていったことか。床はきれいになりますけどね服で。
 漏らしたことはないのかって? あるにきまってんじゃん。

 お気づきかとおもうが24時間しかない1日に30回以上ということは、1時間に1回以上であって、就寝時も例外でない。この10年間はろくに寝た記憶がない。爆発寸前の便意で目がさめたときに時計をチラッと見るのだが「あっ1時間も眠れた」というぐあいである。だいたい30~40分おきに、ナマリのように重い体をトイレまで引きずった。


 この生活を10年した。
 詳しくは前著『クローン病中ひざくりげ』で書いたのでこれくらいにしておきましょうね。はいよく生きてたー。


 これらすべて免疫さんが私のためにしてくれていることであり、免疫さんがやりたいことをやり尽くすまで、待っていればいい。これが難病の治療なのである。免疫が「仕事、終わりましたけどー」と言う日が来るまで、この生活に耐えていればいいだけである。

 だがこんな状態を長く続けるのは得策でない。
 短くするのがよい。
 それには免疫を積極的に支援してやるのだ。しいていうならそれが治療。

 わたしが受けていた治療は、医学博士・松本仁幸先生の理論にもとづく漢方治療、ヘルペスウイルスの増殖を抑えこむための抗ヘルペス剤の服用である。
 漢方で免疫を元気にしてやるのと、免疫がヘルペスウイルスの数を減らしやすいようにしてやりつつ、待つということである。
 あとは免疫が「終わりましたけどー」と言うのを待つだけ。

 しかし――ひとつだけ問題があるのだ。

 それまでお金がもつかどうか、だ。


 お金が飛んでいくのである。
 漢方も抗ヘルペス剤も保険がきかない。患者10割負担である。たとえば1日10錠飲まなければならない抗ヘルペス剤が1錠100円。これだけで月3万円だ。
 そして愚かな私は、ほかにもよさげなものがあれば、1服3000円もする漢方薬、ほかにもNS乳酸菌、マイタケエキス、などなど、1万円、2万円する薬やサプリをじゃぶじゃぶ買った。治療費はだいたい月5~6万円はかかっていたとおもう。松本先生のところまで通院する月は交通費も加わり10万円にのぼった。

 わたしは、賭けに出ていた。
 短期決戦。
 松本先生の患者さんはだいたい半年から1年で治っている。まさか、2年も3年もかかることはあるまい。

 治るのが早いか。
 お金が底をつくのが早いか。


 10年たった。
 激痛はおさまる気配がなかった。下痢も1日30回で変化がなかった。
 そして――お金が底をついた。

 つづく


◆編集後記

 いま6時間眠れるんです。幸せすぎます。

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