3つのものが必要だった
松井が長く青春をともにすることになったゲームの、とりわけ印象的なシーンだ。伝説の勇者からの遺言が自分にあてられていたことに感動し興奮した松井少年は、この3つのものをそろえるためにとても苦労し、そしてとても楽しかったのを覚えている。
クローン病が治るには3つのものが必要だった。
……。
えーと、こう書き出しておいてなんだが、魔王も魔の島も物語であって、現実には魔などない。「病魔に侵される」という言葉はただちに廃止すべきだ。病気は体に必要なことが起きているだけなのでべつに魔が取り憑いたのではない。「病魔と戦う」も同様。病気は悪魔ではないので戦う必要もない。病気とは自分を治す力のことであるから、むしろ、それと戦えばどういう結果になるか。現代医学の惨況をみれば知れるであろう。
だったらまぎらわしい書き出しすんじゃねーと言われそうだが、うん、ごめん。書きたかったの。
とにかく。
クローン病が治るには3つのものが必要だった。わたしはそれらを集め、難病が治った。もし難病に苦しむ者があるなら、それらを集めて戦うがよい、あ、戦うな。戦っちゃダメ、ゼッタイ。とにかく3つそろえるがよろし。
3つとは。
ひとーつ! 〈治るという概念を正しく定義すること〉。
前回までに書いたのがこのことだ。
なにはともあれ正しい知識にまさるものはない。大阪から東京に行きたいなら東に向かわなくてはならない。西に行っても福岡に着くだけだ。おいしいラーメンは食べられるだろうが、それが目的だったのではない。いや努力すれば東京に着くこともあるんじゃね。うん、地球1周すればね。だが、のんびり世界一周できる悠長な身分でない人は始めから東に行くがよかろう。
「天才とは1%の才能と99%の努力」というが、せっかく努力するなら正しい方向への努力でありたい。かくいうわたしが、東へ行きたいのに西へ行ってみたり北に寄り道したり南に逃げたり、ずいぶんムダ足を踏んだのであなたに忠言するのである。のぞみかひかりに乗ってさっさと東に向かいましょう。
おいまて1%も才能がないわたしはどうすりゃいいんですかという話であるが、その代わりになってくれたのがまさに知識なのだ。東京は東にあると。東へ行けばいいと。それさえわかれば、もうだいじょうぶ。あのー新幹線に乗るお金ないんですけどー。だいじょうぶ。とにかく東に歩いて。いつか着く。
大事なのは、向かう先が正しいか。している努力は正しい努力か。これが、まず治るために必要な1つめであった。
そして、この1つめをまちがって治ることはない。
「この病気と戦います」と努力して悲しい結末をむかえた著名人を何人も思いだす。
1%の才能は、1%の知識と言い換えてよかろう。治るのに必要なのは1%の知識、と99%の努力である。
ちなみに「天才とは1%の才能と99%の努力」という言葉は、才能がなくても努力すればいつか天才になれるという意味に理解されているが、原文だと才能はinspirationとなっており、エジソンが言いたかったことはどうも、99の努力をしたところで始めから実る根拠がないことにはどうにもならんということらしい。正確なところは本人にきくしかないのでわからないが、あとこの人はニコラ・テスラをいじめたのであまり好きではないが、わたしの病気が治った経験からみるとそのとおり。
いくら努力してもまちがった努力では治らない、どころか死ぬ。正しい治り方を知ることが最重要。
では、1つめの「正しい治り方」は前回までに書いたとして、つぎ行っていいですか。
……足りない?
んー。どうしよう。ぜんぶ書くとこれだけで1年くらいの連載になるんだよね。それはもうここまでのクローン病中ひざくりげで書いたしぃ。
では免疫と病気の関係がまだあやふやな方は過去記事を読んでください。今回の連載はそのつぎ行きますんでー。
んじゃ次。1の知識を仕入れたなら、あと99の努力とは何をすればよいのか? それが、魔の島に渡るための残り2つである。だから魔なんていねっつの。まぎらわしい。でもせっかく書いたんでこのまま行く。とめてくれるな。
あと2つは。
ふたーつ! 〈体へのアプローチ〉。
みっつー! 〈心へのアプローチ〉。
である。
体へのアプローチとは何か? 心へのアプローチとは何か?
はい! お待たせしましたー。次回からいよいよこの連載、本編に入っていきます。ん? 前回もそんなこと言った?
つづく。
◆編集後記
元ネタの「3つのもの」とは、太陽の石、雨雲の杖、虹のしずく。「雨と太陽が合わさるとき、虹の橋ができる。古い言い伝えですわ。」伝説のとおり最終決戦の島へ橋が架かったときの感激を忘れられない。子供のころは気がつかなかったけど、雨と太陽で虹ができる自然現象を物語に置き換えた堀井雄二先生が天才すぎる。