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6月, 2022の投稿を表示しています

なんにもいらない。すべてある

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  もういい。治らなくていい。だって、しかたない。わたしは、その資格を失ったのだから。  幸せにならなくていい。その資格もないのだから。  クローン病の治療は、いったん停止である。とてもじゃないが、それどころじゃない。食べていけるかどうかさえ危ない。  漢方薬をやめた。 抗ヘルペス剤をやめた。 鍼(はり)治療をやめた。 お灸をやめた。 その他、治療にかかわるものをやめた。 おしりの手術だけは途中でやめるわけにいかないので、これだけ継続し、これが終わったらすべて停止だ。 またいつかきっと、再開してみせる。  金策はしていた。とりあえずいまは、生きていくこと。そこだけ考えよう。  もちろん薬だけでなく、ぜいたく品は何も買えない。USBメモリひとつ買えない。せめてUSBメモリくらい買えるようになりたい。  半年たった。  1年たった。  なにも状況は変わらなかった。  欲しい。欲しい。あれが欲しい。これが欲しい。  おさえていると、欲望はかえって噴きでるものである。 「いつか買うものリスト」というメモをつくり、そこにUSBメモリやらモニターやらタブレットやら何やらを、1行1行、書き足していった。メモは100行をこえていた。  2年たった。  3年たった。  どうやら、ちがう、と気がつき始めていた。  わたしは何か、夢をみていたのだ。死ぬまでに、ゆるやかにカーブをえがいて、少しずつ少しずつ、すべてが良くなっていくと。身体的にも、経済的にも、20代よりは30代、30代よりは40代、50、60、70と、病気はだんだん健康になり、貧乏はじょじょに金持ちになり、大金持ちでなくても、本田健さんが提唱する「小金(こがね)持ち」くらいにはなって、「いい人生だったな。」と死んでいける。  それは夢だったのだ。  そんな保証はどこにもないのだ。それどころか、20代よりも30代、30代よりも40代、50、60、70と、健康は害されていき、お金は減っていくのが、しぜんではないか。 ふつうに考えたらそうなる。  では、なぜ、そう考えなかった?  そう仕向けられていたのだ。  お金がすべてで動いているこの世界は、こんな夢をみる私のような馬鹿を利用しているからだ。その術中に、わたしはまんまとはまっていたのだ。 「いつか買うものリスト」をつくったのも、「あなたがいまお金があったら欲しいもの、やりたいこと

最後までやって消えよう

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  「ひぃぎぃやぁあぁあああ」  おしりが痛い。  おなかが痛い。  下痢が1日30回。  夜、眠れない。  もうろうとする意識のなかで痛みに耐える生活が、10年続いた。  体がつらいのは、べつにいい。耐えていればいいだけなので。問題はお金だ。高額な、保険のきかない薬代。貯金はもうない。  そんなときだ。  わたしは収入のほとんどを失った。  メルマガ創刊当初から私のスポンサーになってくれていた、甲田光雄先生の青汁を生産する会社が事業を閉鎖した。先生が亡くなってから顧客離れが止まらなかったところへ熊本の契約農家さんが震災で野菜をつくれなくなったのが決定打となった。  会社はなくなり、わたしの収入もなくなった。  これでは来月から漢方薬が飲めない。いや治療どころではない。生活できない。  「お金をなんとかしなければ……」  アルバイトに行きたいのだが立っていることもできない。目のまえのパソコン1台でなんとかするしかない。  お金のことだけ考える日々が始まった。取り憑かれたようだった。「たったこれだけの作業で月収30万円!」よくそんなネット広告が目にとまるようになった。カードローンとかそんなキーワード検索ばかりしていたので、こんなターゲット広告が表示されていたのだ。  そして愚かなことに私はそんな情報商材を買い漁るようになった。どれも稼げなかった。次こそは本物だろう、次こそは本物だろう、とニセモノの情報を買い続け、貯金がないどころかマイナスになった。  次こそは。  ここにおいて私は、生涯消えることのない、今後だれにどう詫びても足りない、大失敗をした。  「ついに本物をみつけた!」  馬鹿である。だが、そのさなかにあるときはおのれの馬鹿に気づけないらしい。  あろうことかメルマガ読者さんに、こんないいものがあった! と熱烈に紹介してしまったのだ。  いままでと同じ ニセモノ の商品だった。  それから1年間は、針のむしろだった。  「松井さんを見損ないました。」  お叱りのメールは途切れることはなかった。  茫然とした。なんということだ……。  わたしはこれまで、甲田先生をはじめ、人に恵まれてきた。すばらしい人に、わりとすんなり出会えた。無条件で信じられる人にばかり出会ってきた。人に会ったらまず全面的に信じるクセがついていた。  この世はそんな人ばかりでないことを知らな

治るためのたったひとつの問題(と当時は思っていたもの)

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  治る最後の10年は、免疫の揺り戻しが激烈を極めた。  「ひぃぎぃやぁあぁあああ」  おしりが痛い。痛いなどという生ぬるいものではない。針を100本突き立てられたような鋭い激痛が、メルマガを書いていても食事をしていても、前ぶれなく、運がよければ1~2時間おきに、基本的には数10分に1回、ひどいときには数分ごとに襲われた。トイレにいけばおさまるが、トイレにいくことで悪化することがあって針100本の激痛が1時間たえまなく続くことはざらにあった。  肛門まわりに袋状にたまったウミによるもので、ウミの袋は5つあった。袋は豆粒ほどの大きさにでもなると動くこともできないほど痛いのであるが、みかんくらいの大きさである。はい終わったー。  おなかも痛い。ふつうの痛さではない。体のなかにナイフを持った小人(こびと)がいておなかを切り刻んでいるんじゃないかという、気絶しそうな痛さだ。  たとえていうなら『ジョジョの奇妙な冒険』第3部に出てくる「呪いのデーボ」にアギ! アギ! と攻撃されているかのようだ。わからんわ。たとえになっとらんわ。  んで、下痢が1日30回以上だ。ピキーン! 「はうっ!」肛門に液体が迫ったのを感知すると同時に漏れる寸前。トイレに駆けこまないといけないのだが、痛くて動けない。何度、トイレに這っていったことか。床はきれいになりますけどね服で。  漏らしたことはないのかって? あるにきまってんじゃん。  お気づきかとおもうが24時間しかない1日に30回以上ということは、1時間に1回以上であって、就寝時も例外でない。この10年間はろくに寝た記憶がない。爆発寸前の便意で目がさめたときに時計をチラッと見るのだが「あっ1時間も眠れた」というぐあいである。だいたい30~40分おきに、ナマリのように重い体をトイレまで引きずった。  この生活を10年した。  詳しくは前著『クローン病中ひざくりげ』で書いたのでこれくらいにしておきましょうね。はいよく生きてたー。  これらすべて免疫さんが私のためにしてくれていることであり、免疫さんがやりたいことをやり尽くすまで、待っていればいい。これが難病の治療なのである。免疫が「仕事、終わりましたけどー」と言う日が来るまで、この生活に耐えていればいいだけである。  だがこんな状態を長く続けるのは得策でない。  短くするのがよい。  それには免疫を積

3つのものが必要だった

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  「魔の島に渡るには3つのものが必要だった。 わたしはそれらを集め、 魔の島に渡り魔王を倒した。 再び魔の島に悪がよみがえったとき、 それらを集めて戦うがよい。」 (『ドラゴンクエスト』)  松井が長く青春をともにすることになったゲームの、とりわけ印象的なシーンだ。伝説の勇者からの遺言が自分にあてられていたことに感動し興奮した松井少年は、この3つのものをそろえるためにとても苦労し、そしてとても楽しかったのを覚えている。   クローン病が治るには3つのものが必要だった。  ……。  えーと、こう書き出しておいてなんだが、魔王も魔の島も物語であって、現実には魔などない。「病魔に侵される」という言葉はただちに廃止すべきだ。病気は体に必要なことが起きているだけなのでべつに魔が取り憑いたのではない。「病魔と戦う」も同様。病気は悪魔ではないので戦う必要もない。病気とは自分を治す力のことであるから、むしろ、それと戦えばどういう結果になるか。現代医学の惨況をみれば知れるであろう。  だったらまぎらわしい書き出しすんじゃねーと言われそうだが、うん、ごめん。書きたかったの。  とにかく。  クローン病が治るには3つのものが必要だった。わたしはそれらを集め、難病が治った。もし難病に苦しむ者があるなら、それらを集めて戦うがよい、あ、戦うな。戦っちゃダメ、ゼッタイ。とにかく3つそろえるがよろし。  3つとは。  ひとーつ!  〈治るという概念を正しく定義すること〉 。  前回までに書いたのがこのことだ。  なにはともあれ正しい知識にまさるものはない。大阪から東京に行きたいなら東に向かわなくてはならない。西に行っても福岡に着くだけだ。おいしいラーメンは食べられるだろうが、それが目的だったのではない。いや努力すれば東京に着くこともあるんじゃね。うん、地球1周すればね。だが、のんびり世界一周できる悠長な身分でない人は始めから東に行くがよかろう。  「天才とは1%の才能と99%の努力」というが、せっかく努力するなら正しい方向への努力でありたい。かくいうわたしが、東へ行きたいのに西へ行ってみたり北に寄り道したり南に逃げたり、ずいぶんムダ足を踏んだのであなたに忠言するのである。のぞみかひかりに乗ってさっさと東に向かいましょう。  おいまて1%も才能がないわたしはどうすりゃいいんですかという話であるが、

「治す」という考えを改めたら治った

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 治すのではない。 「治る」ようにする、のだ。  はいこれだけ覚えれば治ります。  いかなる病気も、です。  クローン病にかぎったことじゃないんです。  この世に治らぬ病気はない、とは医学博士・松本仁幸先生の言葉である。からだの状態が変わったことを病気というなら、からだには元に戻る力がある。人体のパワーをあなどってはいけない。医学的にいうなら【 免疫 】の力をなめてはならない。免疫はすべての病気を治すことができる。  「では、先天性の病気はどうなんですか?」という疑問がおきよう。  だがこれは言葉の使いかたがまちがっている。  生まれながらの病気と思われているものは、生まれながらそういう遺伝子なので病気ではないのだ。  病気ではないなら何という。個性という。  免疫は病気を治す。そして免疫とは「からだを元に戻すことができる能力」である。生まれながらの個性を治療するという考えはおかしい。病気でないものを治すことはできない。  免疫が治せるのは病気だけである。  がん、も同様だ。がんは病気ではない。トシをとれば人は死ぬ。がんは自然死のひとつの形態である。治す治さないという議論じたいが不毛だ。死ぬように生まれてきた体を死なないように治すというのはおかしい。病気でないものを治すことはできない。  免疫が治せるのは病気だけである。  例外はこの2つのみ。  そのほかは、免疫はいかなる病気も治すことが可能だ。  となれば、わたしが病気を治すためにできることとは何なのか。  はい免疫のジャマをしない。以上。  え? いやそのー、何かしたいんですけど。  うん、じゃあ免疫を積極的に応援してあげて。以上。  医者が病気を治すのでもなければ私が病気を治すのでもない。  病気を治せるのは免疫だけである。  したがって免疫さんが気持ちよく働ける環境を整えてあげる。  ことばをかえれば、わたしは「治す」のではなく「治るようにしておく」のだ。わたしにできるのはそこまでだ。  あのー、だからそれ何したらいいスか。  はい! お待たせしました! それを書いていくのが今回の連載です。  ここまでは前置き。あいかわらず前置きが長い松井だが重要なことなので書いた。  病気は治すものではない。「治る」ようにするもの。  難病が治るために最重要のキモである。  では次回から具体的にわたしがどうやって「治る」