闇が消えれば光が差すし光が来れば闇が去る
ついこのまえのこと。さあ社会人だ、とおもったら難病・クローン病になって、おいちょっとまて、これ治してからじゃないと人生始まんないじゃんと治療生活に入った。で、よっしゃ治ったとおもったら、もう50ちかい。あれ? おかしいなあー。人生いまからなんですけど。 平均寿命でかんがえると、あと30年。いまから人生始めるにあたり、さて、どうしたものか。 「人間50年ンンン~」と織田信長が桶狭間にむかうまえ扇子をかざして敦盛(あつもり)を舞うのを、子供のときテレビでみて、えー、昔の人は、たったの50年しか生きられなかったのかー、現代人でよかったーとおもったが、あれ? オレいまから人生スタート、で、あと30年。 みじかっ! 昔といえば、6世紀の中国、隋によって統一されるすこしまえの南北朝時代、ひとりの若者があった。 なぜ人は死ぬのだろう。死ぬのに生きることに意味はあるのか。なぜ苦しみ、もがき、生きるのだろう。こんなことは考えないのが利口なのか。みんながそうしているように。オレは愚かか。いやちがう。みんなあきらめているだけなのだ。そんな難問を考えるのは時間のムダだと。だがあきらめは問題の解決にならない。永遠の命があるなら、考えるのをやめるのもいい。だが人生は短い。考えずに生きていることこそ時間のムダだ。オレは、いやだ。 人生最大の問題を解決したい。 答えを求めて、若者は仏道修行に打ちこむのである。洛陽の都では、早朝から日が暮れるまで、座禅し、沈思黙考する彼の姿を見ない日はなかった。 そんなある日、若者は病に伏した。 彼は思った。「まずは健康を得なければ。命あっての物種(ものだね)だ。長生きできなければ哲学どころでない」 さいわい病気は治ったが、一転、健康法を探ることになる。 不老長寿の秘訣を教える仙人を知り、弟子入りした。この才能あふれる若者はめきめき頭角をあらわし、一番弟子となった。もう教えることは何もない、これからはこの長命の法を広めよと、仙術の巻物を伝授され、彼はもといた寺のある洛陽に戻ってきたのである。 「おう、ずいぶん見なかったが、どうしてた」声をかけてくる友人の僧に、若者は得意満々にいきさつを語った。 「は? 不老長寿?」友人はツバを吐いた。「情けない。これを読んでみろ」 若者は激昂したが、かねてから一目置いていた友人であり、こいつを論破してから仙術