ありがとうクローン病、そしてさようなら
「松井さん、バナナ状のウンコが、すこーん! って出るとこ、イメージされてます?」
整体師さんが施術をしながら言った。『クローン病中ひざくりげ』の連載を開始したころである。電子書籍でいうと第1巻。まもなくこの整体師さんから松本医学をきくことになる。
「あ、そうですね。イメージしといたほうがいいですよね」
軽くなった体で、整体院をでて、電車に乗る。このころわたしは東京にいた。まだわたしの免疫は眠ったような状態で、下痢の間隔が長く、電車に乗れていた。そのかわり時折おきる腹痛がナイフのようにすさまじく、そのときは電車のなかでもうずくまった。
固形の便を見なくなって2~3年のころだったとおもう。
クローン病になりたてのときは、基本は固い便で、たまに下痢だった。それが松本医学によって免疫を目覚めさせていくにつれ、半々くらいになっていき、逆転していき、もうはや下痢しかしなくなった。つぎに固形を見ることができるのはいつなのだろう。免疫を育て上げるまで、トイレから離れられないので電車に乗るどころか外出ができない。
バナナ状のウンコが、すこーん! か。
イメージすること18年。
ついに。きた。
すっ
こぉーーん! 笑
きたキタきたキタきた、キタァァァッ!!
うおお、まじか。まじだ。かたまっているぞ。
はじめはバナナとはいかず、かたちがあるようなないような、どっちかというと固まってるような、くらいだったが、そのなかにウサギのフンがまじるようになり、もっと大型の動物のフンになり、泥状の部分が減っていき、ついにその日は訪れた。
すっ
こぉぉぉーーーん! 笑
やった……。
もう、一生、かたちのある便をすることはないのかなと、何度もおもった。
はじめは、そのたびにイメージを描いた。いつか。いつかきっと。
それが5年、10年、手ごたえがなく、イメージするのをやめた。
なるときはなる。
たいせつなのはその日が来るために今できることをすることだ。
思いをコントロールして体をコントロールする、という方法論は、ごく短期の目標達成において効果的である。ビジネス書、自己啓発書が教えるところは正しい。
だが5年、10年の長期スパンになると別の方法を用意する必要がある。
むりをしない、いつもどおりの毎日が、「いつかこうなったらいいな」と思い描く遠大な目標への歩みになっている、そんな自分であらねばならない。等身大の自分で生きていてそうなる、そんな自分をつくっていく。注力するのは、そこである。そこだけである。
『クローン病中ひざくりげ』第12巻を未完のかたちで終わらせた。血液検査のCRPはこうだった、リンパ球数は増えた、減った、細かく記録しつつレポートするのをやめた。
イメージを消したのではない。「こうでなければ」と自分をムチ打つようなやり方をやめた。このまま進めば確実に訪れる楽しみとして、心に写真をとって、あとは見ないアルバムとした。
それから今にいたるまではわりと早かった。
結果的に、イメージは現実になった。
バナナ状ではなく、ひょろひょろのキュウリですけど。
10年も固形便が出ないでいると、腸が狭くなるのだ。
とうとう先日、ついに便秘を経験するという考えられない事態になった。まるいちにち便通がない。いきむ、というすっかり忘れていた行為をしたが、だめ。翌日、いきんで、いきんで、いきむと、
すっ
こぉぉぉーーーん! 笑
やった……。
でました。すさまじい長さのキュウリが 笑
まあそんなこんなで、おあとがよろしいんだかなんだかわからなくなったが、これで松井の治療日記は完結である。
最後に記録を書き残そう。
〈2010年5月〉免疫力を上げる治療開始(クローン病発症から7年)
アルブミン 4.0
CRP 2.4
リンパ球数 14%
〈2011年2月〉免疫力を上げる治療開始から1年弱
アルブミン 2.6
CRP 10.3
リンパ球数 15%
〈2015年6月〉免疫力を上げる治療開始から5年
アルブミン 3.5
CRP 1.8
リンパ球数 11%
〈2020年4月〉免疫力を上げる治療開始から10年
アルブミン 3.8
CRP 3.4
リンパ球数 15%
〈2021年5月〉免疫力を上げる治療開始から11年
アルブミン 4.2
CRP 0.2
リンパ球数 18%
〈2022年4月〉免疫力を上げる治療開始から12年(クローン病発症から18年)
アルブミン 4.6
CRP 検出不可
リンパ球数 22%
◇
無知なころ、「人はいつどんな病気になるかわからない。怖いなあ」とおもっていた。
難病になった。
治った。
もう怖くない。
つぎまた難病になったらどうするか。
何もしない。
まいにち幸せに生きるだけである。
いやほんとにそんなこと言ってられる? クローン病は死なない難病だからよかっただけでは? 病気で死んでいる人が現にいるよ? それどころかコロナとかいうただの風邪で亡くなってるよ?
それはよけいなことをしたからだ。
それか、放置したのに死んだなら栄養がとれていなかったからだ。
いずれでもなく死んだなら寿命だ。
死にたくない恐怖を病気への戦いにすりかえてはならない。
体をたいせつに。それには心をたいせつに。それには人生をたいせつに。
クローン病ありがとう。〈完〉