セロトニンと殿様のカゴ
あなたは今、しあわせであろうか?
なんていうと宗教の勧誘みたいだが、いや、そうじゃなくて、実感の話だよ。
しあわせ、な、はずなのだ。
あなたは今、むかしの殿様以上の暮らしをしているからである。
江戸時代まで、最高の乗り物といえば、「かご」だった。殿様くらいしか乗ることができない。しかし、長い道中、狭い箱の中は手足をじゅうぶんに伸ばすこともできず、夏は蒸し風呂、冬はスキマ風、長時間ゆらゆら揺られ、これは何の罰ゲームですかという乗り物だった。
ところがあなたは自動車に乗っている。マイカーは持ってないよという人も、タクシーを呼べばサッと高級車が運転手つきでやってくる。数千円で、殿様もびっくりのご身分が味わえる。
食事にしても、きょうのあなたの「いつものごはん」は、王侯貴族のごはんである。あーまたきょうもこれか、というその食事を、かつての庶民は一生あこがれ、いちども口にできずに死んでいた。
他にもあなたは、雨つゆしのげる家があり、水道から世界一きれいな水がどばどば出て、銀行口座を持っている。
ここまでの条件がそろっているのは、地球を100人の村とすると1人だけである。
で、しあわせでない。
言われてみれば、なるほどたしかにしあわせなんだな、と頭ではわかる。だが実感がない。しあわせの手ごたえ。が、ない。
ないはずだ。人間の欲望にはキリがないのだから。
車に乗れるのなんて当たりまえだろとなってしまうと、もうそれは幸せの要素ではない。もっといい車に乗っている人をみるとそわそわしてくる。幸せどころか、苦しみのタネだ。
現代はスマホなどという珍妙なアイテムもある。これも殿様が見たら腰を抜かす道具だ。かごの中でこれがあったらさぞ退屈がまぎれたのにと地団駄踏むだろう。殿様どころか、わたしの実家の老父母が見てもたまげるアイテムである。パソコンの仕事をしている私でさえiPhoneが登場したときは驚いたものだ。
で、いま、そのスマホを指でチョンチョンしながら私たちは「退屈だ」と言っている。
この世で最も不幸な人は感謝の心のない人である。
しあわせという感情を生物学的にいうとセロトニンの分泌といえる。セロトニンは副交感神経が優位のときに出て、脳にしあわせ感をもたらす。ストレス状態では交感神経が興奮しているのでセロトニンが出ない。しあわせを感じない。セロトニンが不足すると交感神経と副交感神経の切り替えができなくなり悪循環で不幸の底に落ちていく。
セロトニンは感動したときに出る。
映画で泣くとセロトニンが出ることは有名だが、そのためにわざわざ2時間も3時間も映画をみなくても、「ああ、しあわせだなあ」と心から思ったらよい。
しあわせ感は、感謝したときに起きる。
逆に、いくらお金があっても、物があっても、世界一の旦那さん、宇宙一の奥さんがいても、感謝しないとしあわせ感は起きない。
しあわせは何らかの要素によって得るのではない。感謝の心で得る。
いじめられている人よりもDVを受けている人よりも飢餓の人よりも戦場の人よりも手足を失った人よりも難病の人よりも、もっと不幸な人がいるのだ。
感謝の心のない人である。
何に恵まれても感謝しない人は、世界一しあわせの要素に囲まれながら、わたしは世界一不幸だと嘆くのだ。
いっぽう、松井はしあわせだ。難病が治ったからしあわせなのではない。「ああ、しあわせだなあ」と心から思えるようになったら、難病が治っていた。
問題はキリがない欲望を持ちながらどうやってしあわせを感じるかである。
つづく
◆編集後記
脳でつくるセロトニンは3%で、90~95%は腸でつくられる。腸をきれいにしておくと勝手にセロトニンが出て勝手にしあわせになります。