寿命が延びる健康法、存在しない説

 さて私は難病が治ったところで、これから何をしたいかというと、健康法ではない。
 え? ちゃうのん?
 うん。



 まあ妥当に考えればだね、このまま健康法の先生になるのが、ビジネスとしては成功するとおもうよ。「難病が治った私が、その方法を伝授します!」と。でも。
 それはメルマガ創刊のときにしたかったこと。20代でしたかったことなのよね。
 なにしろ1年で治そうとしてたからね。「わたし、クローン病治します!」と1年計画を発表し、公開実践したのがメルマガの始まりだった。その1年後から先生をやろうと思ってたのだ。
 それが、クローン病、思いのほか手強く、てか、あのころナメすぎてただけなんだが、つまり人生というものをナメていた、若気の至り、バカげの至りだったのだ。

 クローン病が手強かったのではなく、わたしが手強かったのだ。クローン病を治すのではなく、わたしのバカを治さねばならなかったのだ。

 それに20年かかったー。わら

 さて、なのですでに予定が大幅に遅れているのである。
 健康法にばかり時間をかけてもいられない。

 健康法をしているあいだにも、命はすり減っているのだ。
 たとえば1分実行すれば2分寿命が延びる体操があるとする。これは果たして2分の命を得たことになるのか。
「新品のスマホが実質0円!」
 なんて広告がある。実際にはお金がかかる。2万円で端末を購入すると翌々月にポイントが2万円ぶんつきます、というのがパターンだ。しかも期間限定ポイントだったり用途限定ポイントだったりする。先に2万円払ったものが、価値を減らされて一部が戻ってきたにすぎない。
 健康法を1分間実行したということは、寿命を1分使ったのだ。それで2分の寿命を得たとしても、「実質1分」である。

 だがこれだったら、それでもおトクだ。1分寿命を延ばし続けていれば、人は死なないことになる。
 だが人は必ず死ぬ。
 ということは?

 寿命が延びる健康法なんて存在しない。

 1分実行して1分以上の寿命を得ることは不可能だ。じわじわ減る。
 1分実行してちょうど1分寿命が延びる体操なら、収支はプラスマイナスゼロ。
 30秒延びる体操なら、マイナスである。

 健康法のメルマガでこんなこと書いていいのかよとわれながら思うが、事実なのだからしかたがない。
 さあ、困った。
 健康法、どうする。

 ながらでする。

 仕事しながら。食べながら。移動しながら。トイレしながら。そのついでにできる健康法があるならば、する。これである。
 健康法のために時間を使うべきではない!
 たとえば「毛管(もうかん)運動」をするのなら、手足を振っているあいだに、何か聴いて勉強するとか音楽を聴くとか動画をみるとかしたい。

 もちろん、最初にやり方を覚えるときは集中しないといけない。だができるようになったら、それ自体にはもう集中しない。たとえば自転車に乗るとき、いちいち「横に倒れる力よりも前に進む推進力が強くなるように漕いでそのとき体の中心線を進みたい方向に一致させ……」とか考えない。同じように、健康法が身についたら、それ自体には集中せず、「ながら」でしたい。
 ただしボーッとしている時間に脳は情報を整理したり結合したりしてヒラメキが起きるので、それを狙ってあえて何もしないというならよいが、これは例外。

 健康法のために健康法をするのは、もうやめる。
 甲田光雄先生でさえ85歳で亡くなっていることを忘れてはならない。

 たまに楽しみのために趣味で青汁を手づくりする、とかならよい。それは健康のためにしているのでなく、人生を楽しむために使う時間だからだ。
 だが、青汁が好きでもないのに、これをやるべきでない。だったら、ミドリムシのカプセルを口に放り込んで一瞬ですませるべきである。わたしが、あのグリーンポットを選んだのはこういう理由もあるのだ。しかもかなり大きい理由なのだ。

 わたしはクローン病がひどいときに10年、人生を失った。ぼやぼやしていられない。ついこのまえまで20代でメルマガを発刊してよーしやるぞーと燃える若者だったつもりなのだが、病気でうーんうーんとうなっているのが終わって気がついてみると40代後半である。いまから人生スタートのつもりなのだが、もう人生が半分終わった。多く見積もって残り半分だ。もしかするとあと20年くらいで人生が終わるのかもしれない。だとすれば、もうほんとうに急がないと何も成し遂げられずに死ぬだろう。
 死にたくない。

 わたしは健康法から軸足をうつしていこうと思っている。
 もう健康法については、わたし自身は学び終わったことにしよう。必要な知識は、得た。あとは、残り20年か30年かしらないが、ここまで得た知識を使えばじゅうぶんだ。
 得た知識を、みなさんにおすそわけは、続けていく。だが健康法のための人生ではじわじわ命を削っているだけである。消耗戦である。必ず負ける。
 勝ちに行かなければならない。人生を始めなければならない。健康法は死ぬまで続けるが、人生を「しながら」する。伴走者になってもらう。走るのは私だ。
 主人公は健康法ではない。私だ。私が私の人生の主人公だ。

 んで、何をしたいのかっていうと、前回のメルマガみたいな話に特化していきたいのよね。
 体の健康は、心から。
 はっきり、わかった。
 わたしは心の話をする人になりたい。

 このメルマガはこのメルマガで続けるので安心してほしいが、わたしが人生かけて取り組みたいことは健康「そのもの」ではないことは、ここにいてくれているあなたにだけは伝えておきます。



◆編集後記
「あーるくーのー だいっすきー」ならば歩けばよい。




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