お金がないと病気は治せないのか?(なわけない)
ああ、こんな馬鹿が、食事をいただけるなんて。合掌。いただきます。
おいしい……。
ありがたい……。
ごちそうさまでした。合掌。
高価な食べ物なんて、いらなかったんだ。まして、高価な薬も。
難病が治るには〈体へのアプローチ〉と〈心へのアプローチ〉が必要だった。
〈体へのアプローチ〉については前回までに書き終えた。ここからは〈心へのアプローチ〉を書いて、連載を終わろう。
「これが最後の注文だ」
漢方薬がないと治らない、と思っていたころである。
1年もすれば終わるだろうとたかをくくっていた高額な漢方治療は10年に及び、貯金が底をついた。
それまで甲田光雄先生の青汁をつくる会社がスポンサーになってくれていたが、甲田先生が亡くなって、スポンサー料もなくなった。
もう薬が買えない。それどころか、食費をどう削ろうかと頭をかかえた。
この状態で漢方薬をどう手に入れたらいいのか。
「カネを稼ぐしかない、か」
つぎの注文は、お金をつくってからだ。
お断りしておくがこの考えはまちがいである。薬はいらない。お金もいらない。だがわたしはまだそれに気づいていない。薬がないと治らない。だからお金がないと治らないと思い込んでいる。
治療を再開するにはお金を稼がねば。
とはいえ、どうする。
家から一歩も出られない。
おしりが痛くて、「ちょっと座る」ことができないのだ。この不自由さときたらない。なってみなければわからない不自由さだ。社会は「座る」という動作が誰でもできる前提でつくられていた。できない私は、バスにも乗れない、映画も見れない、食事する場所もない。外出できない。そもそも家でもほぼ寝たきりでいるしかない。できることといえば、腹ばいになってパソコンをさわることくらい。もちろん、仕事もそれで。
コロナで日本じゅう巣ごもりになる前から、わたしはずっとこんな生活をしていた。最先端の流行を先取りしていたのである 笑。
そして絶えまなく痛みが襲う。毎日38度台後半の熱がでる。ちょっと休憩、なんて言わなくても1日30回、ほぼ1日じゅうトイレ休憩だ。
どうやって仕事する?
カネがないと治らないのに。(←まちがい)
「1日5分、クリックだけで日給1万円!」
そんなウェブ広告が目に入るようになった。
詐欺である。そんなの、あるわけない。
このキャッチーな文言につられてサイトを見たが最後、1日5分どころか本業でやっても100人に1人できるかどうかの作業に誘導され、しかもその内容は高額な受講料を払ったあとに知らされ、作業をしているあいだに返金保証期間が過ぎるという仕掛けである。
つぎつぎそんなものを購入し、そのうちの1つは読者さんに紹介してしまった。
呆然とした。
お金を失い、それよりもはるかに大きな、信頼を失った。少なくない読者さんから愛想を尽かされ、すっからかんになって、このころ白髪がいっきにふえた。
所持金のほうはというと、ゼロどころか、背筋が凍るマイナスになった。「背筋が凍る」の意味がわかった。ただでさえ下痢で眠れない夜中、暗闇をみつめながら月末のことを考えると、ほんとうに背骨に氷が当てられたように感じるのだ。
詐欺なんて自分は引っかからない、と思っている人が引っかかるというが、いやそれでも自分は引っかからない。で、引っかかった。
おれ、馬鹿?(やっとか)
こんな状況を招いた原因は、何だ。
お金について無知だからだ。
病気と同じだ。病気も無知だからなる。さあみなさんいいワクチンできましたよ! わーい! でなる。医療従事者は善意でやっているのだが医療従事者も無知なので、みんなで病気製造システムを回している。
お金がこれと違うのは、お金をだまし取ろうとする人は明確な悪意があってやっているという点である。
二度と読者さんにご迷惑をかけてはならない。
お金のことを勉強せねば。
わたしはいつも必要に迫られて必要なことを勉強する。健康のことも難病のこともそれで勉強した。
こんどはお金だ。
お金は誰でも一生かかわるものなのに、日本の教育制度ではただの1時間もお金について教えられることがないことは、世界では非常識として有名である。日本の常識これ世界の非常識である。
お金に興味はないが、しかたない。
お金に興味はないなんて言っているから、こんなことになるんだ。だいじな読者さんにも迷惑をかけたのだ。
お金の勉強をしなければならない。
生まれて初めてお金のことを勉強した。猛勉強した。
4年がたった。
いま、お金の本を1冊書けるくらいの知識を得ている。
そしてわかった。
「お金などというものは存在しない」
存在しないものを、それがないと治らないなんて思っているのだから、治るわけない。
いやお金は厳然としてあるじゃん。お金ないとスーパーで何も売ってもらえないじゃん。スマホ決済しようとしても、ペイペ~イ♪ って言ってもらえないじゃん。そもそもスマホが持てないじゃん。
いや、それでも、お金なんて存在しない。
富は存在する。だがお金は存在しない。富を持つ者が、人命を搾取して欲望を満たすために捏造した、ただの概念である。金融とはその概念をもとに構築された巨大なシステムのことである。
システムが構築されてしまっているため、生きていく最低限のお金は必要だ。だが必要なだけ確保すればいい。
生きていくのに必要なものだけ買えばいい。
漢方薬が買えないなら、買わなければいい。
こうして私は、いかに最少額で、最大量の栄養をとるか、工夫に工夫をこらす生活になったのである。
すると治った。
お金など存在しない。
だから、お金がないと治らないなんてことがある道理がないのだ。
わたしは、ここがまちがっていたのだ。
それで治らなかったのだ。
生きてさえ、おれれば、いいのだ。
ああ、こんな馬鹿が、きょうも食事をいただけるなんて。合掌。
◆編集後記
お金の本は書きません。知識があっても、対象に愛がないと本なんて書けません。