欲という病
「足るを知る」と言ったのは老子(ろうし)である。 プレステが欲しい。switch(スイッチ)が欲しい。そうだろうか。 たしかに、欲しかった。欲しくて、欲しくて、たまらんかった。だけど、ないならないで、ないのが当たりまえで、やってこれてしまった。 そりゃゲーム機だから、なくても生きていけるのは当たりまえだ。 だが、わたしが買えなかったのは、ゲーム機だけでない。この4年間、服も買ってない。そろそろ下着が何点かダメになりそうなので、もうちょっとしたら買わないといけないが、まだいける。 食料品は、買わないと餓死するので買うが、生命が維持できればいい。高いものはいらない。高いものとは、高級品ということではなく、たとえば菓子パン1個を買おうとおもえば食パンが1袋買えるので、菓子パンは「高いもの」である。 漢方薬を1回ぶん買うお金があれば、「ほぼ漢方薬」であるカレー粉(ルウじゃないよ。ウコンとスパイスをブレンドしてある粉)が数年ぶん手に入るので、漢方薬は高級品である。 これらすべて、なくても、こと足りている。 てか、足りていると知ってから、クローン病が治った。 すなわち、「足るを知る」。なるほどねえ。 さらに孟子(もうし)は、 「心を養うは寡欲(かよく)より善(よ)きはなし」 と言っている。 こっちは「足るを知る」よりももっと積極的なニュアンスがある。心を成長させようとおもうなら、なによりも役に立つのが欲を抑えることだと。なので老子の、なんとなくあきらめの境地っぽいところから、もっと踏みこんで、「欲しい」という心を自らすすんで捨てていこう! というスローガン的な言葉である。 うん。そう。そうなのだ。それは、たしかに、そうなのだ。 何もいらなかったなあ。何にもなくても生きていけるんだなあ。それで何も困ることはないんだなあ。あのまま「欲しい、欲しい」の心が燃えあがっていたら、たぶんまだクローン病は治っていない。足るを知る。そのとおり。知るべきである。 だけれども、なあ。 そうはいっても、おれ、なあ。 プレステもswitch(スイッチ)もやりたくないわけじゃないんだよぉぉぉぉぉ(w) じゃなきゃこんな記事書いてねぇぇぇ。 前回もちょろっと触れたが、文化への関心がまったくなくなってしまうと、よくない。仕事に支障がでる。好奇心を失うと脳も衰える。ニ...