ワンちゃん、つらいかい?
交通事故にあった犬が動物病院に保護された。脊椎(せきつい)を損傷しているので、もう一生歩けない。 たまたま病院に取材に来ていた雑誌記者が、その犬をみつけると、犬は目をキラキラさせた。すり寄って来たそうな動作をするが、歩けない。 「この子はいま自分のことをどう思ってるんでしょうね」 たずねると、医師は答えた。 「なんとも思っていませんよ。動物には現在しかないので、未来を悲観したりしません。未来のことを思い悩んでクヨクヨするのは人間だけです」 難病が治るように生活していて、なにがつらかったって、未来が見えないことである。 このやり方で、治っている人はいっぱいいるのに、なんでわたしは治らないのだろう。もしかして、わたしだけは助からないのではないだろうか。助かるとして、10年後なのか。20年後なのか。50年後、は、もう墓の下だ。それまでに治るのか。1日30回、ほとんどトイレで過ごす人生は、人生といえない。だったらわたしは、人生が始まらないまま、人生が終わるのか。 つらいのは肉体の苦痛よりも、この精神の苦痛である。 1日30回、トイレで過ごしながら、ワンちゃんを思った。歩けなくなったワンちゃん。 ワンちゃん、つらいかい? ワン。(いいえ。) そっか。わたしは、ワンちゃんよりも、人間ができてないんだな。犬を見習って、もうちょっと人間として成長しよう。 これが、今の自分なんだ。まちがいのない現実なんだ。受け入れるしかないんだ。 わたしは「必ず治します!」なんてメルマガを書いて、がんばってきた、つもりだが、現実を受け入れなかっただけではないのか。 難病のわたしは、本来のわたしではないと。 わたしは、わたしに戻るために、わたしではない今の状態を治さなければならない。そう思ってなかったか。 これじゃ私を否定してることになるじゃないか! 今は、これが、私なんだ。難病・クローン病のひと。それが、私。むかしのことは知らん。いまは、これが私。未来のことも、知らん。私は、私。難病でない私も私。難病の私も私。 私が難病。難病が私。 だったら、このままだったとして、これはもうしかたがないのだ。 だが、たどり着きたい場所がある。 東京に行きたいなら、東京に向かって歩けば、徒歩でもそのうち着くだろう。 方向性だけ、ちゃんと持っておけばいいんじゃないか。 だい...